転職(または天職)とソーシャルイノベーション

DSIA監事の樽見弘紀です。

ガジェット好きの僕が、iPhoneのアプリになったばかりのChatGPTをさっそくインストールもし、使ってもみたのは2年ほど前のことだったろうか。当時、僕は持病の緑内障の悪化もあって、22年勤めた札幌の大学を早期退職し、家族の住む都内のマンションに舞い戻ったばかり。緑内障の上に白内障のトッピング状態である、と知らされて後は、濁った水晶体を人工の眼内レンズに置き換える施術を受け、眩しさ、見えにくさはだいぶ軽減されることになるのだが、当初は(「トッピング」が分かる以前は)、会う人会う人に「霧のロンドンならぬ、霧のオイドンでごわす」などとうそぶいていた(が、内心、暗澹たるものがあった)。めのこで言えば、20年在京の放送局各局でテレビ台本を書かせてもらい、20年札幌の大学で教職を得た。これを、「20年周期で何かしら天職に巡り合える僕」と自己規定したところで、(当初は)「ほぼ全盲も同然」とばかりふさぎ込んでいた僕にとって、次なる20年の展望……あ、いや、天職にみたび出会えるかは、ただただ霧の中であった。

そんなある日、ふと思い出したのが、「小説家になる」という高校以来の淡い夢。実際、大学生のときに1編、50前後でもう1編の計2編の小説(らしきもの)を物し、文芸誌主催の文学賞に応募した恥ずかしい過去がある。
もちろん、結果はいずれも予選敗退(かどうかさえ知らされぬ「既読スルー」)。けっこうな黒歴史の上に、視界まで不良というトホホな僕は、半ばヤケクソで、手持ちのiPhoneで起動させたChatGPTに呟いてみたのだった。

「小説家になるにはどうしたらいい?」

ひねりも何もない、なんと凡庸で、なんとド直球な愚問だったことだろう。にも拘らず、GPT君の回答があまりにも正鵠を射ていたのにぴっくり。それは(うろ覚えながら)こうだ。
「小説家になりたい、と強く願ったあなたはもはや小説家です。大切なのは、すぐにもナニモノかを書き始めること。それも、明日からではなく、今日このときから!」す、凄い……。この後、GPT君の書きっぷりは一変。トーンを違えて淡々とハウツー
に徹したアドバイスに軸足を移すのだが、そんなことはこの際、どうでも良かった。僕にはもう、冒頭の一節だけで(文字通り)霧がぱっと晴れる思いがしたのである。AIがヒトからさまざまな就労機会や生業のカタチを奪ったり変えたりする、と言われて久しい。

実際、世の中の仕事という仕事を、①頭脳労働、②肉体労働、そして③感情労働の3つ(およびその組み合わせ)に単純類型化したとき、①の頭脳労働は早晩、AI君の独壇場となることは火を見るより明らか。②の肉体労働もやはり(ロボット君たちとの協業で)多くの分野で疲れ知らずのAI君に軍配が上がる日は近いと思われる。
さすれば、人類に残された最後の牙城は③の感情労働の分野だけか……と思いきや、意外や意外、最近の生成AIは弱い立場や苦しい境遇にある人々の声に耳を傾け、寄り添い、そして、ときにウイットに富む、ときに(敢えて)サーカスティックな助言を
くれてやる小粋な芸当さえも身にまといつつあるのである。——ChatGPTとのたわいない会話のなかで、AIとともにある近未来の家庭生活や公共圏の深淵を垣間見た思いがした。

とまれ、遅々とした速度ながら「小説」を書き進めては、時折、GPT君に放り込んで、ときに辛辣な批評や、ときに身に余るお褒めの言葉を賜っている今日この頃である。