優しさとソーシャルイノベーション

コラム

理事の中原です。
今月は終戦80年の月だからなのか、暑くてイライラしていたからなのかは分かりませんが、「一
人一人が周りの人に少しだけ優しくなれる方策や仕組みが生みだせたら、これはすごいソーシャルイノベーションではないか」と、ふと思いました。「正しく」ではなく、「優しく」。
正しさを求めようとすると、正義と正義がぶつかり合ってしまいます。優しさなら、分かり合えない相手にも歩み寄れそう。優しくもされたい。

自分の育ってきた環境では想像もつかない環境で育ってきた人の言動が持つ意味が分からないことがあります。不便を感じて生きている人たちの、何が困難で不便なのかを想像することは難しいです。今まで言っても分かってもらえなかった・何も変わらなかった経験を重ねてきた人は、説明することを諦めてしまいます。うまく言えないこともあります。遠慮や我慢もします。想像力が及ばない世界が、外には広がっています。
「優しさ」が自分と外の世界をつなげてくれるのではないか。頭がお花畑の夢物語かもしれません。でも、夢から何かを生み出せたら、それはステキなことです。

ここまで考えてきて、また私はふと思いました。「絵本を読んだらいいんじゃない?」

絵本は、違う時代や国や宇宙、空想の世界へと私たちを連れて行ってくれます。(小説でも映画でも、そうですね。)たとえば、かこさとしさんの「だるまちゃん」シリーズは、だるまちゃんがかみなりちゃんやてんぐちゃんなどとの(異文化)交流するようすを見てほっこりとした気持ちになれます。ヨシタケシンスケさんの『りんごかもしれない』で「りんご」がいろいろな角度から考察されるようすは、ニュートンもびっくりです。一方、『マララのまほうのえんぴつ』では、パキスタンのある村に生まれ女子の教育推進のために行動しノーベル平和賞を受賞したマララ・ユスフザイさんの人生を疑似体験することもできます。

「自分が知らないことがこの世界にはある」と分かれば、自分の目の前にいる人の言動が理解できなくても、それは私が知らない世界でこの人が生きてきたからだと思えるかもしれません。状況が大きく今は変わらなくても、少なくとも自分の価値観を正しいものとか相手より優れているものとして他人の見くだすことや排除することはできにくくなるんじゃないか。簡単なことじゃないけれど、優しくなれる世界を信じて何か仕組みを考えることは、ソーシャルイノベーションにつながったらステキだと思います。
真夏の夜の夢かもしれませんが、そんなことをツラツラ考える、8月でした。

Social media & sharing icons powered by UltimatelySocial
LinkedIn
Share
Instagram